鶏大量死の3日前に兆候、従業員報告で役員が農場へ

読売新聞WEB版
2004/03/31/13:52

 鳥インフルエンザ問題で、農水省と京都府が31日、家畜伝染病予防法(届け出義務)違反容疑で告発した京都府丹波町の「浅田農産船井農場」。大量死の兆候が出始めた2月17日から、発覚する27日まで“空白の10日間”が従業員らの証言から埋まりつつある。大量死発生直後の3日間に、鶏舎の消毒を指示し、普段は着ない防疫服に着替えていた浅田秀明社長(41)。この時点で浅田社長らが鳥インフルエンザ感染を疑っていた可能性もあり、京都府警は一連の謎の行動を中心に、捜査を進める。

 同農場での鶏の大量死の始まりは、1000羽以上が大量死した2月20日とされていたが、この3日前から兆しはあった。

 農場にある10の鶏舎のうち、8号鶏舎で異変は始まった。府や従業員らによると、2月17日には、49羽が死んだ。従業員の1人が「(死んだ鶏の数が)ちょっと多い」と本社に報告すると、元役員がすぐに同農場へ来た。

 この従業員は鳥インフルエンザ感染を疑い、「様子がおかしいと思ったから来てもらった」と証言。翌18日は56羽、19日には118羽が死んだ。

 「ちょっと死にすぎや。普通と違う」。農場全体で1086羽が死んだ20日、従業員の1人は兵庫県姫路市の本社にいる浅田社長に電話した。「養鶏に携わる人間やったら誰でも一番に鳥インフルエンザ感染を疑いますわ」。そう証言する従業員との会話の中で、社長は「過去にも何百羽も死んだことがある。腸炎かもしれない」と答えたという。

 この時点で、浅田社長らは鳥インフルエンザへの感染を疑うことができた可能性が大きかったが、同社は通報しなかった。翌21日ごろ、業者の車が出入りする出荷場に消毒用の消石灰がまかれ、大量死の鶏舎に入った作業員が着替えるようになる。

 22日朝、農場に来た浅田社長は白い防疫服を着ていた。浅田社長が防疫服を着るのは、この時が初めてで、従業員は不審な思いで見ていたという。同日夜、社長の父親で自殺した浅田肇会長も訪れた。その日、死んだ鶏の解剖が行われた。

 「農場の24万羽すべてを出したい」。23日、浅田農産から兵庫県八千代町の食鳥処理会社「アリノベ」八千代工場に連絡が入った。

 25、26両日には、浅田社長と作業員らが防疫服にマスク姿で生きている鶏の出荷作業を続けた。

 社長も7000羽が死んだ26日夕、「もう明日(27日)届けるぞ」と同農場で叫んでいた。鶏の大量死を知らせる匿名電話が入ったのは、その夜だった。

(2004/03/31/13:52 読売新聞)


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