後期臨床研修医の声 ~消化器内科医になって1年間を振り返って~

2018年度入局


松山幸弘先生
日頃より大分大学消化器内科ならびに関連病院の諸先生方には大変お世話になり深く感謝申し上げます。私は1995年に久留米大学を卒業後、母校の消化器内科医局に入局・研修した後、福岡県立柳川病院5年2ヶ月、日田の岩尾病院1年、2004年に退局、出身地である大分に戻り天心堂へつぎ病院7年、2011年より現在の帰巖会みえ病院で働いております。いずれも消化器内科医として日々診療してまいりました。この間、目まぐるしい消化器内科診療の変遷を目の当たりにし、所属学会への参加やインターネットでの学習だけでは知識や経験を充足させることは困難であると実感するようになり、最先端を牽引する諸先生方からご指導を仰ぐために2018年4月より入局させていただきました。この1年の間、大学の内外で開催される勉強会やヘリコバクター学会に参加させていただき知識を刷新し日々診療の精度向上に努めております。2019年4月からは帰巖会みえ病院の非常勤医として都甲和美先生に消化器内視鏡検査をご指導ご担当いただくことになり大変心強く思います。この4月に内視鏡機器を更新したばかりで画質と操作性が良くなり存分に力を発揮していただけるものと楽しみにしております。その他、2019年1月に主に心臓カテーテル検査を目的とした血管造影システムが導入されました(汎用性が高く腹部血管造影にも対応、CT室へ移動せずに血管造影下CTと同様の検査が可能)。以前、私も腹部血管造影検査に携わっておりましたが、新たな機器の進歩した性能に驚かされました。しかし、インターフェロン治療やウイルス直接作用薬の向上により腹部血管造影検査の対象となる肝細胞癌の発生数は目に見えて少なくなり大きな時代の変わり目にいることを実感する毎日です。これからも豊後大野の片隅で大分の消化器内科診療の下支えとなるよう日々研鑽し地域の皆様に信頼いただけるように頑張ってまいります。今後も諸先生方のご指導ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

大森薫先生
2018年4月に大分大学消化器内科に入局させて頂いた大森薫です。出身は中津市で1999年に山口大学を卒業し、同内科学第一講座(現在の消化器病態内科学講座)にまず入局しました。肝臓班を専攻し、山口県時代の特に終盤は門脈圧亢進症の内視鏡治療やIVR治療を専門にしておりました。県内の関連病院や大学病院に勤めたのち、2010年より故郷の中津市に帰って参りました。
帰郷後8年間は宇佐市の佐藤第一病院に勤めておりました。この間に村上教授や清家先生をはじめ多くの大分大学の先生方と知り合い、皆さまの飾らない人柄や医局の和気あいあいとした雰囲気に大変な魅力を感じました。宇佐はとても良い環境で大変悩みましたが、基幹病院でまた仕事をしたいという欲求が抑えられず、医局派遣というご縁を頂いて中津市民病院に勤めることとなりました。手前味噌で恐縮ですが、私は“何でもやりたがる”医者を自認しており、ESDやERCPの他にTACE、BRTO、PSE、RFAなどのIVR治療も自身で行います。しかし専門的技術の進歩は凄まじく、何でも広く浅くでは最先端の要求に応えられないことも自覚しています。それでも節操のない自分に少し不安を抱いていた頃、「消化器内科のジェネラリストを育てたい!」という村上教授のお言葉に大変勇気づけられました。私のこれまでの経験と診療スタイルが、大分大学の若い先生方のキャリア形成に何らかの形で役立つのではないか、と少し期待もしております。
中津市民病院は大分県北部と周辺の24万人医療圏を担う、地域の中核病院です。医師スタッフ45名のうち消化器内科医は4名で、大分大学からは私と、昨年10月に合流した廣島先生の2名が出向しております。日々の業務は大変忙しいものではありますが、九大から派遣頂いている先生方ともガッチリ協力し合って、大変楽しく仕事をしています。今後は益々医局の先生方にお世話になることが多くなると思います。私自身も、故郷に帰られたという誇らしい気持ちを大事にして、これからも日々精進したいと考えています。
今後とも末永く、何卒宜しくお願い申し上げます。

和田亜由美先生
後期研修1年目は2018年4月から9月まで大学病院で、10月より杵築市立山香病院で勤務しました。大学病院では肝胆膵、消化管の様々な分野の疾患の検査や治療に携わることができ、また、上級医の先生方に都度相談できる環境に恵まれ大変よかったと思います。学会や研究会での発表の機会もいただき、臨床と学術的な両面を経験できた半年間でした。その後は大学病院とは環境が全く異なる地域病院での勤務となり、指導医の先生の元、上下部内視鏡検査を行いながら、一般内科を中心とした診療に携わりました。地域病院に出て初めて主治医となり、最初は戸惑いもありましたが、多くの先生にご指導いただきながら半年間臨床を経験することができました。今振り返ると、全く環境の異なる病院での勤務だからこそ凝縮された有意義な1年間だったと思います。医師としての知識や技術だけでなく、患者さんや家族の方との接し方など含め多くのことを吸収できた年でした。4年目以降は異なる分野で研修を積むことに決めたため、また違った環境に身を置くことになりますが、双方の病院で経験したことが必ず今後の医師としての糧になると信じています。最後となりますが、私の意志を快く応援してくださった村上教授をはじめ、一年間ご指導くださった先生方へこの場を借りて心より御礼申し上げます。また、今後ともご指導ご鞭撻の程お願いいたします。

高橋晴彦先生
この度2018年に大分大学消化器内科に入局させていただきました髙橋晴彦と申します.私は2006年に福岡大学医学部を卒業し,2年間の研修を経て福岡大学筑紫病院消化器内科に入局いたしました.転居に伴い10年間所属した医局を離れ,村上和成教授の御厚意により大分でお世話になっております.大分は妻の故郷でありますが, 私自身は住んだことがなく土地勘もない場所でした.入局後は大分赤十字病院にて働き始めましたが,上尾哲也先生を始め皆さんが働きやすい環境を作って下さいました.また,大学病院や関連施設で働かれている先生方やスタッフと話す機会が何度かありましたが皆さん気さくに受け入れてくださいまして感謝しております.大分で働き始めて1年経過しましたが,印象としては大分の先生は消化器領域に対し幅広い知識を持ち手技が行えることでした.福岡では消化器内科の中で分野が細分化され専門に入っていくケースが多く視野が狭くなりがちですが,大分では若手の先生にとっては環境に恵まれていると感じました.また私も中堅層となりましたが,今までとは違うやり方や考え方を吸収できて大変勉強になっています.1年間大分で生活してきて,大分弁や大分の生活にも慣れ日々の生活も充実してきています.私もまだまだ未熟で勉強の毎日ですが,いままで培ってきた消化器内科医としての何かが大分で役に立てればと思っております.今後ともどうぞよろしくお願いいたします.

矢野貴史先生
はじめまして、平成18年卒の矢野貴史と申します。
昭和55年に母の実家である東京都大田区蒲田で生まれ育ち、幼稚園の時に父親の実家である大分県杵築市大田に帰郷致しました。あまりの環境の変化に戸惑いましたが、幼少期であった事もありすぐに順応出来たように思います。その後は岩田中学高校を経て北里大学に入学致しました。
卒業後は、北里大学病院で研修しそのまま同大学の消化器内科学講座に入局致しました。
出向で関連病院を転々としておりましたが、平成27年に北里大学消化器内科学(上部消化管)の助教に任用され上部消化管の内視鏡診断、治療、化学療法を中心に3年間働いておりました。その間に幸いにもCase reportを含め3本の英論文を書き、学位を取得できました。今回はそれを機に、地元である大分県に帰郷する事となりました。
現在は大分県厚生連鶴見病院でお世話になっております。18年ぶりの大分県での生活ですし診療内容も大きく変化しましたので緊張と不安が非常に強かったのですが、鶴見病院の方々にご指導頂き現在は楽しく過ごしております。今後は少しでも成長し地域医療のお役に立てるようにがんばっていきたいと思います。ご指導のほど何卒宜しくお願い致します。

高橋晴彦先生
この度2018年に大分大学消化器内科に入局させていただきました髙橋晴彦と申します.私は2006年に福岡大学医学部を卒業し,2年間の研修を経て福岡大学筑紫病院消化器内科に入局いたしました.転居に伴い10年間所属した医局を離れ,村上和成教授の御厚意により大分でお世話になっております.大分は妻の故郷でありますが, 私自身は住んだことがなく土地勘もない場所でした.入局後は大分赤十字病院にて働き始めましたが,上尾哲也先生を始め皆さんが働きやすい環境を作って下さいました.また,大学病院や関連施設で働かれている先生方やスタッフと話す機会が何度かありましたが皆さん気さくに受け入れてくださいまして感謝しております.大分で働き始めて1年経過しましたが,印象としては大分の先生は消化器領域に対し幅広い知識を持ち手技が行えることでした.福岡では消化器内科の中で分野が細分化され専門に入っていくケースが多く視野が狭くなりがちですが,大分では若手の先生にとっては環境に恵まれていると感じました.また私も中堅層となりましたが,今までとは違うやり方や考え方を吸収できて大変勉強になっています.1年間大分で生活してきて,大分弁や大分の生活にも慣れ日々の生活も充実してきています.私もまだまだ未熟で勉強の毎日ですが,いままで培ってきた消化器内科医としての何かが大分で役に立てればと思っております.今後ともどうぞよろしくお願いいたします.

平江麻衣先生
私は大分大学を卒業し、初期研修1年目は大分大学でローテートしました。もともと内科に興味がありましたが、消化器内科の先生方が熱心に診療を行う姿に感銘を受け、また内視鏡やエコー等の手技が多いことに魅力を感じ、消化器内科に進むことを決めました。2年目の研修は鶴見病院で9か月間お世話になり、まだ研修医だったにも関わらず、上下部消化管内視鏡検査を初め数多くの経験をさせて頂きました。大学病院と鶴見病院の先生方には大変感謝しております。
 初期研修が終わって熊本に引っ越すこととなったため熊本大学消化器内科に入局しましたが、大分に戻ってきたことを機に9年目より大分大学消化器内科に入局させて頂きました。現在、大分医療センターで勤務しております。医療センターには、肝臓、消化管、胆膵の専門の先生がいらっしゃり、どの先生もとても優しく丁寧に指導してくださるので大変勉強になります。困ったときもすぐに助けてくださり、的確にアドバイスして下さるので本当にありがたいです。指導医や同期や後輩に恵まれ、日々診療できていると実感しております。知識も手技もまだまだ未熟ですが、先生方のご指導の下、精進して参りたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

佐藤孝生先生
私は地元大分大学を卒業後、2年間の初期研修を大分中村病院で学び、石飛先生のもとで内視鏡の面白さに触れることができました。卒後3年目から、後期研修医として福岡県の麻生飯塚病院で内科研修を行い、4年目からの3年間を同院の消化器内科医として働きました。はじめは総合内科医として研鑽を積む予定でしたが、内視鏡診療の楽しさが忘れられず、途中から内視鏡医の道を選択しました。上下部消化管の一般的な内視鏡診療に加え、土地柄大酒家が異常に多かったことから静脈瘤チームに所属する形となり、日々吐下血と格闘し、エキサイティングな夜を何度も過ごしました。その後、地元大分への帰郷を考えるにあたり、幸運にも大分大学消化器内科に医局員として迎え入れて頂きました。現在、大分三愛メディカルセンターで1年間が早や過ぎましたが、消化器内科医としての診療以外にも、あまり触れる機会がなかった一般内科診療を行うことも多く、またそれが自分にとって非常に大きな経験となっている事を実感しております。また、門脈圧亢進症学会(というややディープな学会)の一員として、現在細々とではありますが食道静脈瘤に対する透視下の硬化療法の症例も増やしてきております。ほかにも、当院では特に胆膵領域に力を入れており、現在はERCPやEUSの魅力に虜になっている所です。錦織先生のもと、引き続き大分の医療を支えられるよう精進して参りたいと思っています。当院は大学の先生方に日々の内視鏡検査をお手伝い頂く事も多く、その際に様々なご指導を頂けるチャンスがあります。これからもご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

石橋恵美子先生
平成28年に大分大学を卒業し、大分大学医学部附属病院やアルメイダ病院等での初期研修を経て、平成30年に消化器内科に入局し、3年目から新別府病院で後期研修をさせて頂いております。新別府病院では、初めての消化器内科外来、病棟主治医、一人で行う内視鏡検査や治療、全てがわからないことばかりで、一つ一つに時間がかかってしまい右往左往する毎日です。上級医の先生方や内視鏡技師さんに助けて頂き、患者さんの感謝の言葉に励まされながら、この1年を過ごすことができました。消化器内科のスピード感や多彩な手技などに惹かれ入局を決心しましたが、今改めて消化器内科を選んでよかったと思っております。まだまだ未熟者ですので、色々とご迷惑をおかけすることが多いと思いますが、今後ともご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

勝田泰志郎先生
大分大学消化器内科学講座に入局させて頂き、1年が経ちます。愛媛大学医学部を卒業後、初期研修から大分に戻りこの3年間は本当に濃密なものとなりました。
 初期研修医時は大学病院、大分県厚生連鶴見病院、大分赤十字病院で計1年近く消化器内科に携わることができ、入局後は再び鶴見病院での勤務が始まりました。内視鏡検査、入院管理、救急対応など、初めてのことも多く戸惑うことが多いスタートでしたが、上級医の先生方の手厚いサポートの元様々な症例を経験することができました。2018年10月からは大学病院へ異動となり、県下から集まる特殊な疾患や重症な症例も、消化管・肝臓・胆膵領域の広範囲にわたり経験することができ、大変貴重な経験となりました。2019年3月からは一足早くアルメイダ病院へと異動となり、急性期疾患への対応等を中心に、様々な経験を積ませて頂いております。初期研修医時を含め、多くの病院で研鑽を積む機会に恵まれ、村上教授を始め多くの先生方には感謝の念に尽きません。同じ疾患に対しても、施設ごとに考え方やアプローチの方法がバリエーションに富んでおります。その中でも、数多くの経験の中から患者さん一人一人に最適な医療を提供することができるよう、これからも積極的に知見を深めていきたいと思います。
まだまだ消化器内科医として知識・経験ともに不足しておりご迷惑をお掛けすることがあると思いますが、精一杯精進致しますので御指導、御鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

木本喬博先生
私は島根大学医学部を卒業し、地元大分県に貢献したいと思い初期研修時に帰ってまいりました。初期研修から含めると2年6か月間大分赤十字病院で、その後6か月間大学病院で勤務させていただきました。
大分赤十字病院では基礎的なことから丁寧に教えていただき消化器内科としての基盤を作っていただきました。大学病院では、大学病院ならではの特殊な疾患や手技等、数多く経験させていただき、大変貴重な時間を過ごすことができました。今後もさらに知識や技術を高めるよう精進していきたいと思います。まだまだ至らぬところだらけでご迷惑をお掛けしますが、日々努力を重ねて成長していきたいと思っておりますので、今後もご指導・ご鞭撻の程、何卒宜しく御願い致します

半澤誠人先生
卒後三年目になります、半澤です。福岡大学を卒業後、故郷の大分に帰ってきました。医師になって早や三年、消化器内科に入局して一年になりました。私は二年間の研修を大分県立病院で過ごし、三年目は最初の半年を大分大学病院、その後の半年を厚生連鶴見病院で後期研修医として、働かせていただいております。研修医のころは目標もなく、忙しい日々を坦々と過ごしておりました。学生のころからやりたいことを見つけることができず、研修医でいよいよ進路を決める時期になっても結局決めることできませんでした。結局最終日に大分大学の内科プログラムに決め、消化器内科に入局を決めました。最初は本当にこの道でよかったのかという疑心暗鬼もありましたが、今は消化器内科に入局してよかったと感じ、毎日を楽しく過ごせています。大学病院での勤務では研修医のころにほとんど消化器内科をローテーションしておらず、右も左もわからない私を先生方が優しくご指導してくださいました。上部・下部のスクリーニングだけではなく、胆膵領域ではEUS、ERCP、肝臓領域ではRFAやTACEやなども学ばせていただきました。最初の半年間を大学病院で勤務できたことで幅広い分野としての消化器内科を学ぶことができました。鶴見病院では大学病院とは違い、内視鏡での仕事が増えました。半年間で約1000例の内視鏡検査、治療をさせていただきました。この半年で同期に遅れており、苦手意識を持っていた内視鏡に自信が持てました。四年目以降も、鶴見病院で勤務させていただくことになっており、より一層の内視鏡手技の上達に精進していきたいと存じます。今後の目標は、診断、治療を含めて、いち早く独り立ちできるように勉学や日々の診療に従事していきたい所存です。引き続き先生方のご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします。