東南アジアにおけるマラリアとG6PD欠損症の分子疫学的解析

                   大分大学・医学部・総合科学研究支援センター・国際保健部門

                                         川本 文彦                                   

                                           国際保健部門HPに戻る

はじめに                            

 筆者は、偶然の発見からマラリアのアクリジンオレンジ染色(AO)による迅速診断法を開発し、多くのマラリア流行国に招聘されるようになった。1994年以降は毎年半分以上を海外での診断活動に従事し、多い年では年間4-5千名の住民の検診を行ってきた。それまで実験室内で行っていた研究は出来なくなり研究テーマを換えざるを得なくなったが、研究室にこもった研究では得ることのできない新しい経験をし、教科書にも書いていない多くの事例を学ぶことができている。これら疫学調査に至った経緯や得られた結果について記したい。

(1) 東南アジアにおけるマラリア疫学調査

 AO法をランセットに発表してから、はじめて訪問したマラリア流行地はソロモン諸島であった。1991年の6月に自治医大の石井先生に誘われたもので、最初の訪問国としてはいささか辺鄙すぎる場所であった。AO法を開発する前に、蛍光顕微鏡を使ったDAPI/PI染色による迅速診断法を発表(1987)していたが、石井先生には特に注目していただき、高価な蛍光顕微鏡を使わず、通常の顕微鏡で迅速に診断できる蛍光染色診断法を考案してほしいとしきりに頼まれていた。そんなことは出来るはずが無いですよと答えていたが、偶然に知った干渉フィルター方式の蛍光観察法で何とか石井先生の要望に答えられる方法が出来上がった。それでソロモン諸島に誘われたわけであるが、この時には干渉フィルターを備えたハロゲン光源がまだ出来ておらず、ソロモンでは太陽光を利用して診断した。ソロモンは首都(ホニアラ)にマラリアが存在する数少ない国(3-4ヶ国)の一つで、寄生率1%以上の子供が走り回っているので驚いてしまった。日本人ではとっくに寝込んでうなっているはずであるが、免疫を獲得すると少々感染しても重症化しないことを見て、流行国のすごさを知った。

 

太陽光あるいは外部光源を利用したAO蛍光観察法

 次に訪問した国は同年10月のインドネシアで、長崎大学・熱帯医学研究所の神原先生に誘われたもので、翌年からロンボク島のマラリア調査に加わった。それ以来、スラバヤにあるアイルランガ大学の熱帯病研究所との付き合いが今日まで続いており、ハルマヘラ島、ブル島、セラム島、フローレス島、チモール島、カリマンタン島などのマラリア調査で多くの共同研究の成果を発表でき、紹介していただいた神原先生には大変感謝している。しかし、インドネシアでは政変のため、少々危ない目にも会った。1998年5月のジャカルタ暴動の折には石井先生と一緒にスラバヤにいたが、ホテルに安否のファックスが来たのは石井先生のみで私には何もこず、教授と助教授の立場の違いを思い知った。また、ハルマヘラ島での調査中やアンボン島滞在中に村々の間に不穏な雰囲気を感じていたが、同年11月にアンボン、ハルマヘラ島の最初の暴動が起きて、数ヶ月の間に1000人以上の人が殺された。この暴動は、ブル、セラム島での調査を終えアンボンからスラバヤに帰った3日後に起きたもので、間一髪で難を逃れることができたのは幸いであった。その後、ハルマヘラ島パヤヘで宿泊していた民宿が焼失し、息子さんが殺されたと聞いている。暴動は未だに続いており、マルク州はイリアンジャヤ、アチェと共に外国人の入国が制限され、疫学調査は不可能である(アンボンではつい最近の2004年4月にも大規模な暴動が起きた)。

 1991年11月にはタイを初めて訪問し、陸軍医科学研究所(AFRIMS)のチャンスダ博士およびマヒドン大学熱帯医学部グループと知り合った。タイ訪問は、AO法を発表した折にチャンスダ博士のご主人が静岡の病院で外科の研修を受けておられ、チャンスダ博士がご主人に連絡され、すぐにタイに来て紹介してほしいと要望されたのがきっかけであった。その後は、チャンスダ博士との非常に有意義な共同研究が今日まで続いており、共同で多くの論文を発表している。また、タイから更にベトナムにまで足を伸ばして、ホーチミン市熱帯病研究所のグエン・ヅン医師(現ホーチミン市保健局長)と知りあい、これらの縁でヅン医師とも現在でも共同研究を継続している。良いカウンターパートに会えた事が今日まで楽しく研究できていることになっている。ベトナムを初めて訪問した折には、怖い国というイメージがあったためかなり緊張したが、日本びいきの人が殆どで、その後20回以上は訪問しているはずである。

 これらの国で太陽光を利用したAO法を紹介したが、太陽光を正確に捕える必要があって太陽を追っかけなくてはならず、2-3秒後には顕微鏡の鏡を動かしてアジャストしないときれいに見えない。その為、ほとんど全ての方から外部光源を利用した方式でないと難しいとクレームがあり、何とかしなければと色々と知恵を絞った。最も良いのは、スライドプロジェクターを外部光源として使用する方法であったが、高価であることとマラリア流行地では昼間に電気が供給されていないのが普通で、スライドプロジェクターも使用不可能であった。そこで、干渉フィルターを備えた外部光源を東洋光学と一緒に開発することになり、電気が無いところでも使用できるようにバッテリー駆動を可能にした外部光源が出来上がった。電気の無い町でもバッテリー屋は必ずあり、充電したバッテリーを大変やすく借りることが出来る。また、4駆の後ろに顕微鏡とハロゲン光源を備え、車のバッテリーに繋ぐと移動診断車が簡単に出来上がる。ハロゲン光源装置をバッテリーに繋ぐこの方法で、ベトナムを皮切りに東南アジア各地でマラリア疫学調査を開始したが、その前に実験室内の研究から疫学に方向転換した経緯について触れたい。          

 1992年から翌年に掛けてインドネシア、タイ、ベトナム、ソロモン、東アフリカ、中国、ブラジル、ボリビアなどに出かけAO法を紹介したが、サービスするのみでは研究にならず、論文が書けなくなるので困ったことになったと思っていた。しかし、ソロモンやロンボク島の調査の過程で四日熱マラリアが存在することを見出した。ロンボク島での発見は本島で初めての報告であった。また、中国・成都の華西医科大学でも、用意された10数枚の三日熱マラリア塗末標本のなかから3枚に四日熱マラリア原虫を見出した。共同研究者や招聘者にその旨を伝えると、東南アジアや中国には四日熱マラリアは殆ど分布しないことになっており、三日熱マラリアの間違いであろうと全く信用されなかった。特に、中国では「四日熱か三日熱かよく判らない奇妙な形態を持つ原虫があるのは我々も認めるが、バンドフォームが見つからない限り、四日熱とは言えない」と断言された。これは、タイ、ベトナム、インドネシアでも同じで、その時誰一人として四日熱マラリア原虫の存在を認めてくれた人はいなかった。しかし、間違いなく四日熱マラリアであると確信していたし、これだけの頻度で見つかるので実際にはかなり分布しているものと考えられた。ひょっとしたら教科書に書かれている「四日熱および卵形マラリアはアジアにはほとんど分布しない」というのは間違っているのかもしれないと思いはじめ、存在を信用する人がいないことは競争相手もいないわけで、これがヒントになり、疫学調査に踏み切る決心がついた。しかし、実際に疫学調査をはじめてから論文が書けるまでに2年以上も掛かり、研究テーマの変更はやはり大きく影響した。

 筆者にとってはこの変更は確かに重大な決断であったが、東南アジアが性にあっていると感じたことも大きい。どこに行っても全く日本人に見られず、特にベトナムの流行地に行くと、どこに日本人が来ているのかとよくからかわれた。また、タイでも度々道を聞かれ、聞いた方が逆にビックリされることが多々あって、まともな服装をしていては迷惑を掛けるので、以来短パンとひも付きサンダルをはき、私は外人ですという格好に変えてからは無くなった。しかし、短パンは東南アジアでは無作法な貧しい人の格好であるため、銀行や官庁に入れてもらえなかった原因にもなった。また、東南アジアの国内線では日本人同士を隣に座らせることが多いが、私が話しかけると現地人と勘違いされ、驚かれることは度々あった。あるおばあさんは最後まで「日本語が本当にお上手ですね」と日本人とは認めてくれなかったし、多くの人からお金目当てに話しかける変な外国人として警戒された。一番傑作であったのは、チャンスダ博士のご主人が京都の学会にこられたのでホテルに迎えに行った折に、フロントの方から日本語が大変お上手ですねと言われてしまった。この時には、「私は日本人です」とは言えなかったが。

 中国との交流は、チャンスダ博士から四川省の華西医科大学の王教授を紹介されてから始まり、1993年12月に初めて訪問して相談した結果、すぐに共同研究がまとまった。翌年から始まった調査で最も驚いたことは、やはり国土の広さと料理のすごさである。最初の調査で四川省のある政府招待所に宿泊した折に、特級の料理人の方がいて、10日間の朝、夕食は10品以上で、おいしい料理の献立がすべて異なっていた。朝食も夕食も、毎日地元の保健衛生部の方5-6名が一緒に食事された。これが中国のお客をもてなす方式で、私はてっきりご馳走されていると思っていたが、最後の日に私が全てを支払わされ、彼らも有名な料理人の料理をただで味わうために来ていたことが判った。成都には、薬膳や担々麺、麻婆豆腐、全ての料理が豆腐でできた店などおいしいレストランは枚挙にいとまが無い。しかし、残念ながら徐々に四川省のマラリアが減少し、患者を見つけるのが困難となって4年後に中止せざるを得なかった。四川省の代わりとして、雲南省や海南島などでの調査を模索したが、いずこもマラリアが激減しており、また地元に支払うお金の問題などで疫学調査を実施するにはあまりに難しく、結局中国での調査をあきらめてしまった。

 形態のみで四日熱マラリアが「ある」「ない」と言っていては水掛け論に終わってしまうため、遺伝子診断法を導入するしかないと考えはじめていたが、そんな折に、岡山大学・薬学部の綿矢先生がリボゾーム遺伝子をターゲットにしたMPH(マイクロプレートハイブリダイゼション)法による遺伝子診断法を開発された。四日熱マラリアが存在するのを証明するにはこれしかないと決断し、AO法の迅速性とMPH法の信頼性を組み合わせてベトナムで一緒に疫学調査を行ってもらうことになった。また、その頃ヒトマラリアは4種類のみならず、新型の原虫やサル由来の原虫もあるに違いないと想像していたが、AO法陽性でMPH陰性であれば新型のヒトマラリアと言えるわけで、いつか新型が見つかるに違いないと思われた。この戦略は実際に間違っておらず、後で述べるようにリボゾーム遺伝子に変異を有する新型卵形および四日熱マラリア原虫の発見につながっている。従って、最初の疫学調査が筆者の研究の原点となって今日まで続いており、綿矢先生との共同研究がその基礎となっており、綿矢先生にも大変感謝している。なお、ヒトからサルマラリアを見つけることが筆者の最大の夢であったが、残念ながら、これはマレーシアのサラワクのグループに先を越された。彼らはつい最近、多数の患者からサルマラリア(P. knowlesi)を見出したことをランセットに報告している。

新型卵形マラリアのMPH遺伝子診断法ターゲット部位の配列

 1994年7-8月にベトナムのソンベ省で、岡山大グループ、大阪市大グループと一緒に最初のAO法とMPH法によるマラリア疫学調査を行ったが、大変幸運なことに、いきなり新型の卵形マラリアが見つかった。AO法陽性で、MPHのプローブ部分の3塩基に欠損と変異(CGG→T**)があってMPH法で陰性となったものである。しかし、ベトナム保健省は卵形マラリアの存在を信用せず、我々のこのデータも5年近く無視された。ベトナムでは、既に4例の卵形マラリアが報告されていたが、この論文も全く無視されていた。この最初の調査では、四日熱マラリアの単独感染2例も同時に見つかったが、1例は形態的に大変奇妙なものであった。新型原虫かもしれないと思われたが、たまたま患者が抗マラリア薬を服用しており、奇妙な形態は薬の影響であろうと結論付けてしまった。しかし、これは大きな間違いで、5年以上もたって新型四日熱マラリア原虫であったことが判明した。疑いが出たときには、徹底的に検討すべきであると反省させられた。ベトナムでの調査を数年間継続していたが、ベトナム側の頭の固さや金銭のトラブル、また、ベトナム政府がアルテミシニンを村落に配布し始めてマラリアが激減したことなどが重なり、ベトナム保健省との共同研究は1998年をもって中止し、現在はズン保健局長およびバロック病院との個人的な共同研究のみである。

 ベトナムと並行して、中国では華西医科大学、タイではチャンスダ博士、およびチェンマイ・マラリアセンターのグループと共同で四川省、タイのメーホンソン、サンカブリ、ラーノンを拠点に調査を行っていた。中国では、四川省の二つの流行地域から四日熱マラリアが十数例見つかった。ここでは20年以上も四日熱マラリアの報告がなく、また中国全体でも、91年から96年までわずか22例しか報告されていなかった。ギームザ厚層法では確定診断が難しいのはよく承知しているが、中国には四日熱マラリアが殆どないと思い込んでいたことが誤診につながっていると思われた。

 一方、タイでも、ミャンマー国境の3つの町でミャンマー人患者から多数の四日熱と卵形マラリアを見出した。これらの卵形マラリアに多数の新型原虫が含まれており、MPH法では陰性となってしまうため、いちいちターゲット部の遺伝子配列を読まなくては正確な診断とならなかった。その後、MPHプレートが改良され、新型卵形マラリアも検出できるようになったが、MPHプレートの価格はかなり高価であったため、もっと安く行える別の遺伝子診断法を開発する必要性が出てきた。ちょうどその頃、イギリスの研究者がリボゾーム遺伝子の別の部位を使ったNested PCR法によるマラリア遺伝子診断法を報告しており、この方法を使ってみたところ、確かに診断可能であったが低寄生率の場合には陰性となることが多かった。

 そこで、この方法よりももっと簡単で確実な診断法を作るため、大阪市大の木村先生に頼み込んで新しいNested PCR診断法を開発してもらった。木村法では、MPHのプローブに利用されているリボゾーム遺伝子変異領域を利用し、Nested PCRの種特異的3'プライマーを作成した。即ち、P1F−P1Rで増幅したPCR産物を希釈し、更にPfR、PvR、PmR、PoRの4つの種特異的3'プライマーと5'プライマーを組み合わせて増幅し、ゲルに流してバンドが出ればその種類の原虫感染が陽性と診断できる。 新型および従来型の卵形マラリアも共に検出されるようになっており、タイ・ミャンマー国境から検出された卵形マラリアの診断が遺伝子配列を読まなくとも出来るようになった。その後、インドネシアのフローレス、ブル、ハルマヘラ島からも卵形マラリアが見つかった。また、この方法を利用したことが、後の新型四日熱マラリア原虫の発見に大きく寄与したが、ここにも幸運が重なっていた。もし、木村先生がPmRプローブの位置を左に2-3bpずらしていたら新型四日熱マラリア原虫の発見は無かったかもしれない。この方法は、我々の調査結果が徐々に報告され始めてからあちこちで使用される様になり、琉球大グループによるラオスでの卵形マラリアの発見にも役立った。ちなみに、ジャカルタにあるアメリカ海軍医科学研究所(NAMRU-2)では、木村法を利用して多数の四日熱マラリアをスマトラ島とジャワ島の間の小島で発見しているが、Kimura -Fなどは言いにくいので4つのプライマーをKim-F、Kim-Vなどと呼んでいた。

Nested PCR遺伝子診断結果の一例

 

 MPH法と木村法でタイ・ミャンマー国境の卵形・四日熱マラリアの分布に関する調査では、卵形マラリアのみならず、四日熱マラリアもAO法・木村法陽性なのにMPH法で陰性となるケースが多数観察された。これらの四日熱マラリアは、同じ頃に中国から検出された新型変異株と考えていたが、これは私のミスで、後にミャンマーから見出された新型株(Type-1)であった。ともかく、卵形・四日熱マラリアが多数検出されたため、4種のヒトマラリアに感染していた患者が11名も見出された。論文の発表当時は、このデータはあまり信用されなかったが、PCR診断が普及してくると東南アジアにおける4種の多重感染は決して珍しいものでないことが判ってきており、実際にミャンマーやインドネシアでの調査で多数の4種の多重感染が確認されている。なお、新型卵形マラリアは従来型(Nigerian-I株)と混在して検出され、これはアフリカでも同様であった。種々の遺伝子を比較した結果、新型と従来型は明らかに異なっていることが判っている。

 タイ・ミャンマー国境の卵形・四日熱マラリアの分布に関する論文を発表後、タイではますますタイ人のマラリア患者が減少し、患者の90%以上はミャンマー人不法滞在者で占められてきた。また、タイは交通の便や生活のしやすさなどから欧米緒国からマラリア研究者がマラリア患者のサンプルを求めて集まっていた。特に、書き入れ時の7-8月は多く、ミャンマー国境のメーソットと言う町ではイギリス、ドイツ、ベルギー、タイが2つ、日本と5ヶ国の6チィームが患者の争奪戦を行っていたこともある。そろそろタイでの調査も終える時期に来ていることを感じていた頃、タイのNGOが作った南部ラーノンにあるミャンマー人用クリニックの医師、チョウ・テットさんと知り合いになった。彼と相談しているうちに、タイでミャンマー人の調査をするよりは、直接ミャンマーに入り、ミャンマーで調査したほうが疫学的にも重要なデータが得られるため、ミャンマーへ行きたいと思い始めた。ミャンマーでは、軍事政権に反対して欧米諸国が援助を打ち切り、マラリア学者に対する研究資金援助も打ち切られため調査がなされておらず、マラリアの疫学調査は空白地帯に近かった。これは私にとっても幸いし、いまだに競争相手がいないのでゆったりと研究ができている。一昔前のベトナムと同じで、ミャンマーは怖くないですかとよく聞かれるが、日本が大好きな人が多くて大変親切で、これまでの所東南アジアの中でまったくボラれたことのない国である。

 ミャンマーでは医師の数が少なく、そのためお互い横の連絡が密で、先輩・後輩、あるいはそれらの友人を介して他人の情報をよく知っていた。ラーノンのチョウ・テットさんが私をヤンゴンに案内してくれ、紹介してくれたのは、チョウ・テットさんの友人のさらに友人で、ミャンマー保健省感染症対策課のキンリン医師であった。この初めてのミャンマー訪問は1996年の4月であったが、大変暑く連日40度を越していた。キンリン医師はロンドン留学中に私のAO法の論文を読んでおり、会うまでは年寄りの大先生と思っていたそうであるが、短パンをはいたほぼ同世代と判りホッとしたと後で述べていた。彼との共同研究の話は簡単にまとまり、ミャンマー保健省の全面的バックアップもあって、今日まで共同研究が続いている。これも良いカウンターパートに会えたおかげであり、チョウ・テットさんにも大変感謝している。

 ミャンマーでの調査は南部のタニンタリ管区のコウトン(ラーノンの対岸)で始まったが、空港に着いた折に多くの見物人がいて驚いた。後で聞いた話では、ここに政府の許可を得て正式に招待されてきた日本人は私共が2番目であり、見物人は日本人マラリア調査グループを見るために来たそうであった。この頃のミャンマーは、外人の移動が制限されており、むやみにあちこちの町を訪問することは禁じられていたが、私は保健省からカヤ州以外はどこに行っても良いとお墨付きを貰っていた。コウトンにおける最初の調査でも、予想通り多数の四日熱、卵形マラリア患者が見つかった。その後、カヤ州以外のほとんどの州や管区を回り、四日熱、卵形マラリアが広くミャンマーに分布することが判明した。コウトンにおける調査では「おまけ」もあって、多分ホテルのタオルで感染したと思われるが、トラコーマに罹って大変な目にあった。

 新型四日熱マラリア原虫の発見の経緯に触れたい。1998年9月、タニンタリ管区のダウェイという町で調査していたとき、奇妙な見たこともない形態の原虫(Type-1)が見つかった。私も大変興奮し、すぐに大声でキンリン医師を呼び、「これは絶対に新型ヒトマラリアだ」と伝え、彼も納得した。結局、この時の調査では、3人の患者から同じような奇妙な原虫が見つかった。また、翌週に行ったカチン州ミッチィーナでの調査では、別の形態を呈した奇妙な原虫(Type-2)が見出され、その後の調査でこれら2種類の新型と考えられる原虫が広く分布していることが判ってきた。両者共に、後期栄養形は帯状体となり、成熟シゾントは8〜10核を有し、生殖母体も典型的な四日熱マラリア原虫の形態を呈しており、明らかに四日熱マラリア原虫に属する原虫と考えられた。しかし、従来の四日熱マラリア原虫と異なり、幼弱期栄養形はリング形を示さず、それらの形態はお互いに異なっており、クロマチン顆粒も従来のマラリア原虫に見られるドット状とは異なり様々な形態を呈していた。特に、Type-1では、強く染色されたクロマチンは2〜3個に分かれており、細胞質はコンパクトであるのが特徴であった。一方、Type-2では、クロマチンは棒状、ロッド状、分岐状などを呈し、多くは2つに分かれていたが、細胞質は細く(tenue形)、様々な形態を呈しているのが特徴であった。

1914年に発表されていた新型四日熱マラリア原虫と非常に似ている原虫の形態

  また、2種類共に、2個の原虫に感染した感染赤血球が頻繁に認められ、四日熱マラリア原虫には見られない特徴であった。さらに、単独感染者が非常に多く、寄生率も従来の四日熱マラリア原虫に比較すると非常に高くなることが判明した。Nested PCR法による遺伝子診断法では2種類とも検出可能であるが、Type-1はMPH法では陰性となってヒトマラリア原虫ではないことになり、ついに新型のヒトマラリアを見つけたに違いないと興奮した。Type-2は四日熱マラリアに対してMPH陽性であり、四日熱マラリアの変異型と思われた。しかし、ターゲットの遺伝子配列を見てみると、どちらも四日熱マラリアの変異型であると判明し、大変がっかりした。Type-1はプローブ部分の4bp(TTAT)が欠損、Type-2は1bpの置換(ATAT)が起きていた。ともかく、新型が見つかったため、大急ぎでミャンマーから採集されたサンプルを用いてリボゾーム遺伝子の全配列の解析を行い、従来型の代表とされているUganda-1株と異なっていることを証明した。他の遺伝子も解析したが、2種類の間に相違が無く、両者は非常に近い種類と思われる。四日熱マラリア原虫とは異なった種類で新種であろうと思われるが、新種であることを科学的に証明することは事実上皆無で、残念でならない。

新型四日熱マラリア原虫の遺伝子配列

 東南アジア各地でさらに詳細に分布を調査した結果、2種類の新型原虫がインドネシア、タイ、ベトナムからも見いだされ、広く東南アジアに分布していることが判明した。論文を書くにあたって、これら2種類を一体何マラリアと呼べばよいのか迷って、種々の本を調べた。特に、Garhnamの古典的なマラリア学の教科書もいえる有名な本の隅々を探し、似たような原虫を調べたが全くヒントは得られなかった。しかし、ある日アメリカの友人であり私の生徒でもあるダニエルから古いフランス語の文献が送られてきて、その付図を見てびっくりしてしまった。何と正にType-1の原虫が描かれていた。この話をするには、ダニエル(現サンフランシスコ医科大学)の事に触れなくてはならない。彼は、ハーバードで卒論として四日熱と熱帯熱の混合感染に関する数学モデルをつくり、卒業後に医科大学を休学してタイに1年間留学して四日熱マラリアの研究を目指していた。四日熱マラリア原虫感染者を探すため私を頼ってきて、ラーノンやミャンマーで一緒に調査を行った(アメリカ人の彼の参加は、ミャンマー保健省の特別な取り計らいで許可された)。彼がアメリカに帰国する前に、ミャンマーに卵形マラリアが多い理由を知りたいため、彼に卵形マラリアに関する古い文献をハーバードの図書館で探してほしいと頼んでいた。そして帰国後に送られてきた論文が、1914年にA. Emin により発表された論文で、メッカ巡礼のアジアおよび東アフリカ人から見いだされたマラリア原虫、P. vivax, variety minuta (三日熱マラリア原虫小型種)が描かれていた。Type-1の特徴全てが記載されており、これでType-1はP. minutaに間違いないと確信した。改めてGarhnamの教科書を読んでみると、付図は付いていないがP. minutaに関してちゃんと記載されており、熱帯熱マラリア原虫の変異株であろうと結論されていた。もっと調べる必要が出てきたため、丁度その時、ボストンを訪問していたチャンスダ博士に連絡し、大急ぎでハーバード大学の図書館で別の古い文献を探してもらった所、アメリカ陸軍のC. F. Craig (1914) がEminの発表後、直ちにフィリッピンで感染した6名のアメリカ兵から同一原虫と思われる感染例を報告していた。P. minuta は、一時期、卵形マラリア原虫の最初の記載例と誤解された(ダニエルが間違って送ってくれた理由がここにある)こともあったが、その後の報告がなく、完全に忘れ去られた原虫であった。ダニエルの勘違いでP. minutaの存在を知ったが、これも何かの因縁であろう。ダニエルはその後、ミャンマーでの体験から「Piano tuner」という小説を発表し、数10ヶ国で出版され、日本でも「調教師の恋」として角川から出版されている。

 Craigの論文に引用されていた論文数編を更に、チャンスダ博士に頼んで探してもらった結果、またまた、同じ1914年に発表された論文に、今度はType-2の特徴を備えた原虫が描かれており、これがType-2だと直感した。この論文は、リバプール熱帯医学校の有名なProf. Stephens(卵形マラリアとアフリカ睡眠病病原体のトリパノソーマの発見者)がインドおよびゴールドコーストの患者から見いだしたものでP. tenueと名付けられていた。Stephensは新種であると発表したが、その発表後、直ちに報告されたBalfour & Wenyon (1914) の論文では「熱帯熱マラリア原虫であり、新種ではない」と否定された。Balfour & Wenyonは、典型的なP. tenue型の幼弱栄養形の他に、熱帯熱マラリア原虫のリング形と生殖母体を認めたため、熱帯熱マラリア原虫と同定したものであるが、今から考えると彼らは混合感染の可能性を完全に無視していたに違いない。彼らの付図には、四日熱マラリア原虫特有の典型的な帯状体とシゾントが描かれていることも、P. tenueと熱帯熱マラリア原虫の混合感染を強く示唆している。従って、Stephensにとっては大変残念な誤解に基づいた論文といえるが、その後、P. tenueは一部の研究者から新種であろうとの支持を得たものの以上のような経緯により、多くの偉大な先人たちから熱帯熱マラリア原虫の変異型(tenue型)として扱われ、長い間忘れ去られる結果となった。Stephens は、卵形マラリアもトリパノソーマもすぐに学会に認められたのに、なぜP. tenueが新種として認められないのかを嘆いている文章が残っている。P. minutaやP. tenueを探し出した頃に筆者が驚いたのは、全ての関連した論文が偶然1914年に発表されているとことと、こんな昔にどうやって情報をいち早く知りえていたのであろうかという疑問であった。また、ハーバード大学図書館の蔵書のすごさにも驚いた。

 2種類の四日熱マラリア様原虫が、これら1914年に発表されたものと同一のものであるという証拠はないが、形態学的にはまったく同じものと考えられ、何とか名前も付けられそうであり急いで論文に仕上げて発表した。また、ベトナムにおいて見つかった奇妙な形態をした原虫の塗末を再度観察した所、P. minutaであった。大変興味深い点は、P. tenue型 は形態学的にも、また遺伝子レベルにおいても四日熱マラリア原虫よりは南米のサルマラリア原虫 (P. brasilianum) に類似していた。四日熱マラリアの新型株はどうも東南アジアのみに分布しているらしく、アフリカ各地で得られたサンプルは、すべて従来型のUganda-1株と同じ遺伝子配列を示した。また、従来型は東南アジアでは殆ど検出されず、これまで300例以上の野生株を調べても中国から2例、ベトナムから新型との混合感染であった1例の3例しか見つかっていない。新型四日熱が東南アジア原産である可能性も高く、東南アジアで生まれた新型四日熱マラリア原虫がベーリング海を渡り、南米でサルに適応してP. brasilianumになったのかもしれない。

 ヒトマラリア原虫では、第4番目の卵形マラリアが1922年にProf. Stephensにより発見されて以来、形態学的に異なったヒトマラリア原虫は実に80年以上も報告されていなかった。新型の2種類の四日熱マラリア様原虫および卵形マラリア新型変異株の分布の実態について調査することは医学的にも極めて重要な課題である。また、これらの新型原虫がどの様な臨床的経過をたどるのか、あるいは抗マラリア剤に対する反応はどうか、などの臨床的知見はいまだに未知であり、遺伝子解析と共に今後の進展が望まれる。

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(2) G6PD異常(欠損)症の分子疫学的解析

 G6PD異常症は、世界で最も良く知られかつ頻度の高い酵素異常症であり、熱帯諸国を中心に世界ではおよそ4億人が変異遺伝子の保有者と推測されている。本症はマラリアと深い関係にあり、本症の分布とマラリアの流行地域の地理的相関から、この疾患はマラリアの自然淘汰により有利な形質として選択された結果と想像されている。しかしながら、最近の我々の疫学調査では、G6PD異常症とマラリア感染防止の間には相関が見られない。

 G6PD酵素遺伝子は、X染色体長腕(Xq28)に位置しており、この酵素遺伝子に変異が起きると様々なG6PD活性に異常が見られ、新生児黄疸や急性溶血性貧血などを引き起こす。G6PD異常症は性劣性遺伝形式をとる疾患で、患者の大部分はヘミ接合体の男性(XY)とホモ接合体女性(XX)で、ヘテロ接合体の女性(XX)よりは臨床的症状が重くなる。臨床像から、1)無症候型、2)急性溶血型、3)慢性溶血型の3つのタイプに分類されるが、医学的に検出が重要となるのは2)と3)に属するG6PD異常者で、抗マラリア薬であるプリマキンなどの酸化的薬剤の投与、感染症罹患、ソラマメなど特定の食品接食などの誘因により暴露された際に、急激な溶血性貧血発作を来すことが特徴である。しかし、多くののG6PD異常症患者は臨床的には無症状で、溶血を伴った病歴が全く現れずに過ごしている人も多い。また、熱帯諸国、特にマラリア流行地においては、G6PD異常症の検査を受診した経験が無いため、G6PD異常症であることさえ知らないのが普通である。これは、従来のG6PD異常症の診断法に問題があり、マラリア流行地などの辺鄙な地域で利用できる診断法が欠如していることに起因していた。

 プリマキンは、三日熱マラリア感染の根絶療法薬として広く使用されており、また、熱帯熱マラリアの生殖母体による伝播を防止するための薬としても使用されている。しかしながら、プリマキンにより引き起こされるG6PD異常症患者の溶血性貧血は医学的に重大な問題であり、また、マラリア対策における化学療法活動においても制限を与える結果となっている。従って、マラリア対策プログラムが開始する前に、地域住民のG6PD異常症を前もって把握することが大変重要となってくる。最近のアフリカでは、ファンシダールに対する熱帯熱マラリアの抵抗性が問題となり数年前よりダスポンが導入され始めたが、この薬はプリマキンよりもさらに強力な溶血性貧血誘導剤であり、投与前にG6PD活性の測定が必須である。

 G6PD異常症の診断には、今日までに多くの方法が発表され、蛍光スポット法、ホルマザン基質のMTTと発色試薬のPMSを使ったホルマザン法(藤井らによるリング法、廣野らの迅速法)などが知られている。しかし、いずれの方法でも村落の現場で実際に応用するには種々の問題を抱えていた。特に、蛍光スポット法は最も良く知られた方法で、簡便かつ迅速な方法の一つであるが、紫外線ランプと電気、暗室を必要とすることが主たる欠点である。上述したように、多くのマラリア流行地などの辺鄙な地域では電気が供給されておらず、たとえ供給されていても夕方以降のみであることが多い。また、この方法では、ヘテロ接合体の女性(50%前後の活性を有する)のG6PD異常症の検出は極めて難しい。この遺伝子疾患は、父親のみならず母親からも子供に伝わる遺伝子疾患であるため、ヘテロ接合体の女性異常者の検出も重要となる。

 一方、MTTホルマザン法では、MTTがヘモグロビンと反応するため、これが普及できない主要な問題の原因ともなっていた。即ち、血液とMTTを直接反応させないようにするため種々の工夫が行われてきたが、そのために診断キットの作製に多大な時間や研究室的な作業が必要となっていた。これらの方法の中では、DEAE-Sephadexを担体とした方法(廣野法)は全く機器を使用せず、視認で判定する方法で大変優れた方法であるが、ゲルの作製に多量の緩衝液と多大な時間を必要とし、10%以下の活性であれば検出が容易であるが、20-50%程度の欠損者の検出は難しい。更に、使用されているPMSが強い光感受性のため、通常の室内ライトに対しても反応するため、常に暗く保つなどの特別な注意を払わなければならない。また、MTTホルマザン法は、生成されたホルマザンが水不溶性であるためG6PD活性の定量的測定はかなり難しく、反応の停止が出来ないという欠点があった。

 筆者がG6PD異状症に興味を持ったのは、マラリア原虫の培養法を教えたアイルランガ大学のインダ講師が、修士論文でG6PD異状赤血球では熱帯熱マラリア原虫の増殖が抑制される結果を見せられてからであった。抑制機構についてはよく判っていないとのことであったが、NADPH産生が落ちて酸化的状態になっていることが容易に推察された。それを証明するには還元的状態を作ればよく、そのためには名古屋市大の藪先生がトリパノソーマの培養で使用していたシステインとBCSという銅キレート剤を入れれば還元的状態になり、再び増殖するのではとのアイデアが浮かんだ。実際、単独に添加しては効果が無いが、システインとBCSを同時に添加すると対照の正常赤血球並みに増殖した。この研究にはG6PD欠損症の血液が必要で、藤井法で診断して血液を集め始めたが、この頃に廣野先生(当時、沖中記念病院研究所)が藤井法を改良され、15分で診断できる迅速法を開発されたことを知った。前々からG6PD欠損者が本当にマラリアに感染しにくいのかについて興味を持っていたので、早速、疫学調査に使わせて頂くことにした。廣野法は、マイクロピペット以外の機器類は必要とせず、もっとも簡便で野外試験に最適な方法である。AO法によるマラリア迅速診断法と組み合わせれば、マラリアとG6PD診断が村落の現場で行え、三日熱マラリア患者や熱帯熱の生殖母体保有者に安心してプリマキンが投与できるはずである。

 廣野法を使ってみると、確かにヘミ接合体男性の欠損者は容易に検出できたが、ヘテロ接合体女性はやはり無理であった。また、PMSが光に大変敏感で電灯の下でも反応してしまい、完全に光を遮断しないと判定は難しかった。そのため、箱の中で反応させる方法で東南アジア各地において調査をしながら廣野法を紹介した。中でも、タイのマヒドン大学熱帯医学部にいたプラニー講師が大変興味を持たれ、1998年5月からタイ南部のスアンプンにあるマヒドン大学のフィールドを皮切りに一緒に調査し始めたが、残念ながら約半年後に大学の研究室で亡くなっているのが発見された。彼女との調査で忘れられないケースはある小学校の先生の1例で、マラリアではないのに網状赤血球増加症を示し、慢性溶血性貧血をうかがわせた。すぐにプラニーさんにG6PDを検査してもらった所、完全欠損であった。この先生は豆が大好きで毎日食べており、尿はいつも色づいているとのことであったが、自分が遺伝子異常であることを知ってひどいショックを受けていた。プラニーさんは懸命に心配することはないと説明していたのが思い出される。4年半ぶりの2002年12月にスアンプンを再訪問した折に、新しく建てられた国際センターのマラリア検査室に彼女の遺影が飾ってあったのをみて驚いた。彼女の死を悼んで、タイの王妃がこの立派なフィールド研究施設を寄贈されたそうであった。

 この例以外にも、忘れられない例が3例ある。アイルランガ大学の薬学部の学生さん数名がインダ講師からマラリアの培養サンプルを受け取りに来ていたとき、G6PD検査をさせていただいたが、その中の一人の女子学生が欠損であった。この方も非常にショックを受けた様子であったが、東南アジアでは10人に一人くらいは欠損だし、通常は何も生活上困ることはないと説明して、納得していただいた。どうも、知識人であるほどショックも大きいようである。もう2例は、カンボジアの某研究所の前の所長さんと、新しいG6PD異状症の迅速診断法の論文を読まれたスマトラ島メダンの内科の先生で、この方はわざわざアイルランガ大学に会いにこられた。お二人とも直々に、新しい迅速診断法の検査ボランチアーとなられたが、どうも反応が弱く試薬に問題があったのかと首をかしげていたが、新しい試薬も同じ結果であった。結局、最後にやはりご自身が欠損者であった。

 廣野法の欠点を改善できる、何か新しい診断法を考えなくてはと思いつつも、具体的に良い案もまったく思いつかなかった。3年以上経過して、JSPSの論博研究生になったインダ講師の論文仕上げのためにNADPH量を測る必要があったが、教科書に書かれている測定法を調べてみると非常に古い方法しかなかった。新しい方法は無いものかとインターネットで検索していたところ、同仁化学から新しいホルマザン基質であるWST-8が引っかかった。しかし、同仁ではNAD測定用に売り出しており、NADPHには触れていなかった。早速、問い合わせたところ、全くNADPHの測定については考えもしなかったとのことで、理論的には測定可能との回答があった。直ちに、試薬(WST-8と1-methoxy PMS)を取り寄せ、G6PD、NADPHの測定に使用したところ、見事に定量的測定可能であることが判り、さらに1N-HClで反応停止もできた。また、WST-8のホルマザンは460nmに最大吸収を有し、強い橙色を呈するため15分で正常と異状の区別を発色結果で視認により確認できることが判明し、特許出願を行った。

 新しいG6PD迅速診断法をミャンマー、インドネシア、タイなどで自治医大の松岡先生と一緒に廣野法と比較しながら調査したところ、重度欠損は両者共に同じ結果を示したが、ヘテロ接合体女性はやはり廣野法では正常となった。WST-8・1-MPMS法による診断結果が正しいことを証明するため、松岡先生に疫学調査で得られた欠損症サンプルの遺伝子解析を行っていただき、殆ど全てが間違いなく変異型であることがわかった。現在、迅速診断法を東南アジア、ソロモン、アフリカなどで試していただいているが、問題なく使われているそうでほっとした。

 東南アジアのいずこの国でも、これまでに5〜10%程度の欠損症が検出されている。特に多かったのは、ミャンマーのラカイン(アラカン)族で20%以上であった。また、松岡先生の変異型の遺伝子解析では、大変面白い結果が得られている。ラオスでは、全てビエンチャン型変異のみが観察され、民族的に極めて近いタイでも2/3はビエンチャン型で、残りにマヒドン型や中国人由来のカントン・カイピン型が含まれる。一方、隣のミャンマーでは90%以上がマヒドン型で、明らかにタイ族・ラオ族とは異なっていた。タイとミャンマーは隣接しているので少々驚いた結果であった。また、ラカイン族はビルマ語ではなくアラカン語を話し、他部族と婚姻しないことで有名であるが、変異型はビルマ族と同じくマヒドン型のみであった。我々から見ると、ラカイン族はかなり孤立した民族のように思えるが、やはり元はビルマ族の一員と考えられる。

東南アジア各地から得られたG6PD欠損症の遺伝子型(松岡原図

 マレーシアは歴史的にも多民族が入り組んできた国家であるため様々な型が見られ、インドネシアでも同様であった。フローレス島のマウメレと近くの村の狭い地域では、5つの型が分布していた。「これは面白いことになってきた。ではベトナムやカンボジアはどうか」と早速調べに赴いた。ベトナムは中国の影響を強く受けているので中国人から見つかっているカントン・カイピン型などが出ると予測していたが、これまでの結果は正にそうなった。また、カンボジアは、タイ族との交流が強くビエンチャン型が出ると予想していたが、これも全くその通りであった。G6PD遺伝子変異が民族の歴史とよく一致し、大変面白い結果で、今後は中国からベトナム、ミャンマー、カンボジア、ラオスに住んでいる少数民族をターゲットにした疫学調査を行うことを計画している。

(3) 終りに

 東南アジアでも、マラリアが中程度以上に流行している村落では、保健所はあってもいるのは保健婦ぐらいで、医師も検査技師もいない。従って、患者は診断のために大きな町の保健所まで出かけるか、適当な処置を自分で行うしかない。ミャンマーでは、地方のクリニックの診断は信用されておらず、多くの患者がヤンゴンのマラリアセンターまで、汽車やバスに乗って1日以上もかけて訪れている。これらの患者の大部分は大人で、大人は免疫を獲得しているのが普通なので重症化することは稀であり、遠くからでもやって来る。一方、乳児では、母性免疫が切れはじめる生後半年あたりからマラリア感染が起こりはじめ、10歳くらいになるまで発熱を伴った症状がでる。フローレス島の東の端にあるラランツカ県で5歳以下の検診に参加しマラリア診断を行ったが、75%の乳幼児が感染しており、まるでアフリカ並みであった。しかし、ここでも大体10歳以上になると徐々に免疫を獲得し、原虫をもっている子供は少なくなる。寄生率が5%前後に達するにもかかわらず、全く熱のない患者も何名か見てきたが、一体どんな免疫を獲得しているのだろうか。

 多くのこれらの流行地村落には、国の保健省や外国のチィームが入り、ある程度の疫学調査を必ず行っている。あちこちで聞いた話では、「サンプルだけを取ってさっさと帰ってしまい、検査結果は1週間後や1ヶ月後に来るか、ひどい場合には全く連絡が無い」と多くの村長さんや小学校の校長さんがこぼしていた。その点、AO迅速法はすぐに診断結果が判るためどこでも大変喜ばれており、同じ村や小学校に何度行ってもたくさんの人が待っていてくれている。一日に診断できる数は、朝8時から夕方5時まで働くと200名は可能であるが、これほどの数をこなすと最後は本当にくたくたになり、最近では午後2時までで打ち切るようお願いしている。長時間の間待っている方には気の毒であるが、子供と発熱している大人を優先せざるを得ない。しかし、時には5〜10kmも離れた部落から来た人たちもおり、こういう方も診断せずには帰せない。ミャンマーのラカイン州のある辺鄙な村では、国の調査チィームが中々来ないためか、我々が訪問した折には近所の村々から500名以上の人が待っていた。診断は半分で打ち切らざるを得なかったが、この時の250名がベトナムのある村と共に1日の診断数のレコードとなった。

 10年以上にわたる疫学調査の中で、治療があと1-2日遅ければ、確実に脳マラリアになるケースも多々あって、病院に送ってもらった例は数十人にのぼる。これらの方の命を救ったはずであることを考えると誇りに思う。残念な1例はカレン族難民キャンプの少女で、降る星のごとく原虫が光り、重度の貧血もあり危ないので病院に運んでくれと頼んだが、町の病院に搬送途中で亡くなった。この時はさすがにがっかりした忘れられないケースである。ここの難民キャンプには検査技師もいたが、当時は訓練がまったく出来ておらずこの悲劇となった(後にしっかりと訓練されて、マラリア患者は殆どいなくなった)。「早期診断と早期治療」をロールバック・マラリアプログラムは提唱しているが、早期診断をどうやるのかの具体策が殆どないに等しく、マラリアとの闘いは今後も大変である。

(本稿は2003年日本熱帯医学会南日本支部会報告を加筆・修正したものです)。

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参考文献

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