ごあいさつ

 

日本眼科学会の調査では、現在の初期研修医制度が始まるまでは400名以上の眼科医が誕生していたのですが、研修医制度導入以後は200名台に落ち込んでおり、眼科医の減少傾向が続いています。高齢者が減ることはなく、あたらしい手術、治療の導入、あたらしい機器の導入によって、眼科医の仕事はどんどん増えています。このままでは現在の眼科のレベルを維持することが難しくなってくるでしょう。特に地方においては医師の地域偏在のために、その傾向は顕著になっています。できるだけ多くの医学生が眼科に興味を持ってくれることを期待しています。


大分大学医学部眼科学教授
久保田敏昭

教室の紹介

 大分医科大学眼科学講座が開講したのは昭和56年です。その前の昭和54年4月に初代眼科学教授の山之内夘一先生が長崎大学医学部から赴任されました。昭和54年当時は山之内教授、中塚和夫助教授で教室が開始されました。平成3年3月で山之内教授が退官され、7月に中塚先生(長崎大学卒)が教授に昇任されました。平成15年10月には大分大学と統合され、大分医科大学から大分大学医学部になりました。そして平成21年7月に私が産業医科大学から大分大学眼科学教室教授に赴任しました。現在の眼科の関連病院は17施設です。大分県で眼科がある病院はすべて大分大学眼科から医師を派遣しています。そのため大分県での病々連携、病診連携はたいへんうまく回っています。

 臨床と研究、教育

  大分県最大の基幹病院であり、唯一の教育機関として大分県眼科医療の中心であるのが大学の立ち位置です。すべての疾患の紹介があるため、それに対応できる体制を整えています。緑内障、加齢黄斑変性 腫瘍、小児眼科、神経眼科、ぶどう膜、角膜についてそれぞれ専門医が臨床と臨床研究を行っています。研修医がすべての疾患について経験でき学べることができるのは教室の強みです。教室での教育方針は一般眼科を学びながら各自の専門もつくる方針です。手術は白内障手術と硝子体手術は全員教育します。病棟にはチーフレジデント(主任病棟医)を半年交代でひとりおいています。この時期に基幹病院でないと多数例は経験できない緑内障手術、網膜剥離、硝子体手術を数多く助手や術者として経験することになります。大学の医局には現在、硝子体術者が常時5-8名在籍する状況になっています。関連病院では大分県立病院、国立別府医療センターで硝子体手術を行っています。卒後教育は大学と、大分市の大分県立病院、別府市の国立別府医療センターで主に行います。学会発表や論文発表をして情報を世界に発信するのも大学の使命のひとつですので、多忙な臨床をしながらも学会発表や論文発表をするようにしています。

病院再整備

  大分大学医学部附属病院では再整備がまもなく終了します。2015年11月に眼科はあたらしく改装された2階東病棟に移転し、2016年の7月には眼科外来も移転を終えました。この移転に伴い、病棟の眼科診察室はほぼ2.5倍の面積になりました。個室が増え、個室希望の多かった白内障手術等の短期入院や付き添い者が必要な患者の入院にも対応しやすくなりました。あたらしい外来は個室診察室になり、面積もかつてのほぼ1.5倍になりました。この再整備に並行して高度な医療に対応できる十分な医療機器整備も行ってきました。これで病院再整備のなかで眼科の整備は終了したことになります。高度な眼科医療に貢献できる整備ができたと思います。

最後に

 大分大学医学部の周囲は自然が多く、山々がすぐ近くにあります。温泉は湯布院、別府は有名です。眼科医局の忘年会は湯布院温泉か別府温泉に1泊で1年の疲れをとります。近隣にも車ですこし行けば、入浴して、休憩できる温泉があります。大学病院は市の中心 部から少し離れていて、勉強するには良い環境です。大学で車を止めるとウグイスの鳴き声が聞こえます。魚がおいしく、ふぐ、関サバ、関アジは有名です。豊後牛もあり、食は抜群です。大分で温泉・食・自然を楽しみながら働いてみたいと思われる方がいたら、いつでもご連絡ください。

略歴

1982年 九州大学医学部卒業
1988年 九州大学医学部大学院修了、眼科助手
1990年 エルランゲン-ニュルンベルグ大学留学(A-v-Humboldt奨学研究生)
1995年 九州大学医学部眼科講師
1999年 国立病院機構長崎医療センター眼科医長
2004年 産業医科大学医学部眼科助教授
2009年 大分大学医学部眼科教授

 

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