大分大学医学部皮膚科学講座

大分大学皮膚科出身者の皮膚科医キャリアパス

皮膚科医になることを考えている学生、研修医の先生、さらには入局後の若手皮膚科医の先生から、度々、「入局して10年後や20年後はどのような進路の選択肢(研究、留学、サブスペの選択肢、勤務医、開業医など)があるのか?」という質問が出ます。ここでは、大分大学皮膚科出身の先生方が、実際どのように活躍されているのかを紹介します(まだ数は少ないですが、順次、追加していく予定です)。

キャリアパス「教授」(大分大学医学部皮膚科学:波多野 豊)

私のキャリア形成~教室に導かれて~

 機器を介さず自分の眼で症状を確かめられることや内科的な要素も外科的な要素も含んだ幅広い領域であること、それに、カンファレンスで若い先生方が臆せずに自由に発言されていた教室の雰囲気に魅了されて当講座に入局しました。
 私たちの時代は前期研修期間がなく卒後すぐに入局するシステムでした。従って、全身管理の基本なども皮膚科で学び始めました。大学病院では重症感染症などの患者や合併症を多く伴う患者など全身管理を要する患者が多く大変勉強になりましたが、さらにしっかりと全身管理を身に付けなければ皮膚科の治療は出来ないと思うようになりました。そこで、2年目から勤務しておりました市中の総合病院皮膚科から、3年目に大学病院への復帰を打診された際に、全身管理を学ぶための研修を希望しました。その結果、福岡県の病院の救急科で半年間の研修をする機会を与えて頂きました。そこでは、救急外来での診察から集中治療室、さらに病棟での管理を経て退院するまでを一貫して担当できる恵まれた環境で研修を行うことが出来ました。
 大学に戻って4年目になろうとする頃に、そろそろ何かサブスペシャリティーのとっかかりが欲しいと思い、手術か研究をやらせて欲しいと希望しました。その結果、研究をさせて頂くこととなりました。研究は、当時の教室で開始されたばかりでまだなんの業績も出ていないアトピー性皮膚炎の病態に関する研究でした。まだ始まったばかりでしたので指導医の片桐一元先生(現在、獨協医科大学埼玉医療センター皮膚科教授)のもとで伸び伸びと研究をすることが出来ました。当時は、何とか大分大学の研究を他大学の先生方にも認めて頂けるようにと張り切っていたように思います。当時の当講座では臨床をしながら研究をするのが当たり前でしたが、もう少し研究へのエフォートを割きたいと考えまして大学院に進学し、アトピー性皮膚炎と円形脱毛症の専門外来を担当しつつ研究を継続しました。
 大学院修了後は、病棟医長や医局長を担いながら研究を継続しました。40歳を前にして当時の教授から海外への留学を勧められました。私は、日本にいても研究は出来ると考えておりましたし、新しい研修制度のために教室員が少なくなっている現状を考えて固辞しました。しかし、何度も勧められましたので、当時取り組んでいた研究で執筆した論文に最も引用した研究を行っていた世界的に有名な先生の研究室に手紙を送りました。面識もない先生でしたので断られると思っておりましたが快諾されて、あれよあれよという間に留学が決まってしまいました。2年間留学しましたが、その間、大分に居たままでは得られなかったであろう研究業績を得られたことはもちろん良かったですが、最も大きかったのは、日本では出会えなかったであろう人間性を持ち合わせた先生方に出会えたことと家族との絆を感じることが出来たことでした。その時の経験はその後の私の指導者としての心構えにも大きな影響を与えるものでした。
 大学に復帰後は、ひたすら、教室の発展を願って、医局長業務や臨床・研究・教育、後輩の指導を行ってきました。
 私のキャリア形成を振り返ったときに思うことは、教室が個々人の声を良く聴いてくれたとこと、その時々に足らざる所を察知して導いてくれたこと、それらが全て私の血肉となっていることを感じます。私も、教室員に対してそのように有りたいと思っています。

キャリアパス「美容皮膚科」(いちみや皮フ科クリニック:一宮 弘子)

 私は平成14年に大学を卒業して皮膚科に入局しました。小さい頃にアトピー性皮膚炎で悩んだ経験があり皮膚科学に興味があったのですが、医局が女医さんにも働きやすい雰囲気でしたので皮膚科を選択しました。
 皮膚科に入局してからは大学病院や基幹病院で勤務し、その間に長男と次男を出産しましたが、医局の理解や周囲の協力もありフルタイムやパートタイムなど勤務形態をフレキシブルに変えられた事で出産後もキャリアが途切れる事無く皮膚科医としての研鑽を積むことが出来、入局7年目に皮膚科専門医を取得しました。
 その後、医局のご高配で美容皮膚科を学ぶ機会をいただき、子育てと両立しながらパートタイムで6年間勤務して、2016年に皮膚科・美容皮膚科のクリニックを大分市に開業しました。美容皮膚科は保険診療では出来ない様々な治療の選択肢が広がり、女医の強みも活かせるとてもやりがいのある分野です。今後は益々発展していくと思います。一方で、皮膚科専門医としての知識や経験が必要とされる場面も多く皮膚科で学んだエビデンスに基づいた診療が大切だと感じています。
 これから、医師になる学生さんや研修医のみなさん、自分のライフプランと医師としてのやりがいのある人生の両立を考えると皮膚科は生涯自分のペースで続けられる理想的な診療科の一つであると思います。

サブスペシャリティ「アトピー性皮膚炎」(大分大学医学部皮膚科学/大阪はびきの医療センター:広瀬 晴奈)

サブスペシャリティを持つということ

 ドボルザーク作曲「新世界より」のチューバは、9小節しか出番がありませんが、なくてはならない存在です。その音はチューバにしか出せません。サブスペシャリティを持つことは、自信ややり甲斐を持って働くことにつながると思います。

サブスペシャリティとしてのアトピー性皮膚炎

 「アトピーの肌が恥ずかしくて他人と目を合わせて話せない…」、「いい歳して『かいちゃだめ』と注意されると情けなくて、自分はダメな人間なんだ、と思えてしまう。」、「アトピーがしんどくて、いま学校に行けてないんです。」、アトピーのせいで、人生が制限される患者さんが、大勢います。命に関わる病気ではないと言われます。それなら、治療はお気楽にその場しのぎで良い…のでしょうか?慢性期疾患だから、症状もほどほどのところで、惰性で過ごしてもらえばよい…のでしょうか?アトピー性皮膚炎は、小児期の大事な人格形成期において、見た目に大きく影響する病気、その後の人生に大きく関わる病気です。社会に適応できなくなる患者さんもいます。「アトピーの肌が恥ずかしい」、「アトピーの症状がしんどくて、日常生活もままならない」、その状態から脱却できるように、小手先の治療ではなく、私たち皮膚科医が責任を持って相応のスキルを身につけて治療に当たるべきです。

医師人生の歩み:卒後3年目(入局)〜卒後8年目

 大学病院、県立病院で皮膚科一般臨床に従事しました。悪性腫瘍、重症薬疹、全身熱傷、炎症性皮膚疾患など、皮膚科全般を幅広く診療し、経験を積みました。皆さん、知人の顔写真を見たら、誰だか当てられますよね?それと同じで、皮膚科医は皮疹を見ただけで疾患を診断する能力があります。しかし、残念ながら、皮膚科に入局し「今日から私は皮膚科医です」と名乗ったらその日から教授に授けてもらえる特殊能力ではありません。膨大な数の症例をこなすことによって、「皮疹を系統立って読み解き、アルゴリズムに当てはめて鑑別診断をいくつか挙げ、知識と経験の蓄積で得た記憶の引き出しから、最もどの疾患が考えられるか」という能力が初めて身につくのです。そして、その皮疹を形づくっている病理組織もイメージできるように特訓します。入局当日に教授から授けてあげられる能力ではありませんが、研修を通してその能力を身につけられるように、先輩たちが手ほどきいたします。common diseaseだと油断したら、型から外れたイレギュラーな経過をたどる例もあります。そういった例外症例も多く診て経験値を上げることで、この時期に皮膚科医の基本能力を身につけました。どの領域をサブスペシャリティにするにしても、バランスの取れた皮膚科医になるためには、基本的な皮膚科のスキルは身につける必要があります。
 アトピー性皮膚炎をサブスペシャリティにするなら、アトピー性皮膚炎に類似した別疾患(菌状息肉症、酒さ、ダリエー病、EPFなどなど)を鑑別できなければなりません。簡単な植皮や局所皮弁などの技術もこの時期に習得しました。卒後8年目で研修年限に達し皮膚科専門医を取得しました。卒後6年目に結婚しました。

卒後9年目〜卒後14年目

 病態の既知の事実の外側を知りたい、と希望し、大学院へ入学しました。Wnt/beta-catenin/CBP シグナルを選択的に阻害することでマウスのアトピー性皮膚炎様皮膚炎が抑制されることを見つけ、学位を取得しました。大学院で研究を行いながら、臨床も並行して従事可能であったため、臨床の勘が鈍る不安はあまりありませんでした。卒後9年目、卒後11年目に出産しました。外来医長、病棟医長を拝命し、管理職も経験することができました。

卒後15年目〜現在(卒後16年目)

 サブスペシャリティとしてアトピー性皮膚炎を専門にしたい、と希望し、大阪はびきの医療センターへ国内留学中です。その瞬間には真摯に向き合ったつもりでも、期待に添う形で治療してあげられなかったのかもしれない。表面上は皮膚科医であっても、アトピー性皮膚炎を深く理解し、治療できているのか、もしかしてこれは惰性で仕事を続けていないか?それはなんとも虚しいことではないか?人には、「他人のため」だからこそ出せる力もあるのだと思います。

最後に

 アトピー性皮膚炎は見た目にも関わる疾患で、小児期は人格形成に影響を及ぼし、大人でも社会不適応になってしまう恐れのある疾患です。患者さんを治療することで、その人の人生もハッピーにしてあげられる可能性を秘めています。治療がうまくいくと、自分自身が社会の役に立っていることを強く実感でき、医師としての使命感を目覚めさせてくれます。その経験は、さらに自身の能力を伸ばそうとする活力にもなります。私が人生を終える時、この充実した気持ちは誇りであり、宝になると思っています。
 どのような選択をしても、それを決断するに至った皆さんの価値観を、私たちは尊重します。皆さんと一緒に、働ける日を楽しみにしています。

キャリアパス「研究、海外留学」(大分大学医学部皮膚科学/ボン大学皮膚科アレルギー科(ドイツ):酒井 貴史)

 私は気が付けば、医学研究、海外研究留学というキャリアパスを歩んできました。しかしながら、最初から研究医や留学を目指していたわけではありません。学生時代は、そもそも皮膚科医という選択肢を全く考えていませんでしたし、英語が大の苦手で、海外留学なんて恐ろしすぎて想像したことすらなかったです。自分で言うのも何ですが、興味と考え方は、時とともに結構変わります。
 皮膚科医としてある程度修行した後、当時の教授の勧めもあってサイエンスの世界に飛び込むことになり、その世界が私にはよく合っていました。元々、数学や物理学などの自然科学に魅せられていたので、論理や実験を積み重ねて、新しい事を探索していくという研究作業が純粋に楽しかったのです。また、今は研究方法も多彩です。医学部での研究というと、マウスや細胞を使った実験が頭に浮かびやすいかと思いますが、私が留学したドイツのボン大学では、膨大なデータベースから、数学的・統計学的技術を駆使して、埋もれている事実を見つけ出すという研究にも携わっていました(大変楽しかったです)。語学は昔から苦手でやはり留学先でも苦労しましたが、度胸と研究の基礎知識があれば結構何とかなるものです。そして旅行ではなく、実際に海外で暮らすということで、日本では味わうことができない貴重な体験ができました。
 「サイエンスにチャレンジする」、「海外で暮らす・働く」ということは、一般的にハードルが高く、なかなか手が出せません。一方で、大学医局に所属している医師は、大学院や留学といった形で、それらを比較的かなえやすい環境にあります。もちろん、いいことばかりではありません。しかしながら、例え失敗しても(全く成果が出なかったとしても)、皮膚科医の技術があればその後の生活に困る事はないでしょうし、何といっても研究を通して身につく思考力、海外生活における多くの経験は、他で得ることが難しいだろうと思います。もちろん人によって合う合わないはありますし、私も押し付けられることが苦手です。無理強いするつもりはありませんが、もし大学医局に所属するのであれば、せっかくの機会です。「サイエンスにチャレンジする」ということを「人生の選択肢の一つ」として、いつでも構いませんので、少しだけ考えてみてはいかがでしょう。
 最後に、皮膚科は本当に色々な世界、働き方があります。私が学生、研修医の頃は、循環器内科、呼吸器内科、神経内科、脳外科、精神科など、節操なく興味を持っていたのですが、今考えると、この非常に多様な皮膚科の世界を選んでよかったなと思っています。もし進路等について相談したいこと、聞きたいことがあれば、気軽に大分大学皮膚科医局まで相談に来てください。

キャリアパス「病院勤務医」(基幹病院皮膚科勤務医)

「皮膚科は患者さんの主訴にこたえられる科だ」
 まだ皮膚科に入局するか迷っていた研修医の頃に、当時ローテートしていた外科の先生にいただいた言葉です。私は今もこの言葉を大事にしていて、患者さんの主訴に耳を傾けるように心がけています。また、皮膚科に入局するか迷っている研修医の先生にも受売りですが、伝えています。
 実際に皮膚科医になると、残念ながらそのような主訴に完全にこたえられない場面に遭遇します。また悪性腫瘍やアレルギーなどの「痒い」「痛い」の主訴がはっきりしない患者さんもたくさんいらっしゃいます。それでも患者さんと一緒に考えて治療がうまくいき、患者さんの主訴にこたえられたときの喜びは皮膚科の魅力のひとつだと思っています。同時に皮膚科は患者さんに教えていただくことが非常に多い科でもあると思います。
 私は研修医修了後に他県で勤務していましたが、家庭の事情で、皮膚科専門医取得後に大分県に転居しました。それ以降は大分大学皮膚科に中途で入局し、大学病院や関連の基幹病院に勤務しています。
 皮膚科専門医取得後にどのように働くかについては、いろいろな選択肢があるので、人それぞれと思います。私の場合は、あまり深く考えずに、大分大学の見学やホームページをのぞくなどの情報収集もせずに決めました。
 私が医局に再度所属してよかったなと思っている点は、専門医取得後に学ぶことが非常に多かったという点です。例えば大学病院では手術に携わる機会を多く与えていただき、専門医取得後にできるようになった手術が多数です。病理組織カンファレンスや炎症性疾患、アレルギーテストなどにおいても、教授や他の先生方から学ぶ機会が多いです。皮膚科では先輩の先生だけでなく、若い先生に教えてもらうことも多々あり、気づきがあります。いろいろな年代の先生と一緒に働き、学べることも医局に在籍しているメリットであり、ありがたいことだと感じています。

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